ブロークン ハート



樹木に囲まれた先生の居る三階建て宿舎は、高等部と中等部を結ぶオフィスセンターの裏手にひっそりと建っている。

裏手といっても、宿舎に続く道を探索しながら歩けるくらいの距離はある。

時期によっては、行く手を樹木の葉が道を塞ぐように生い茂り迷路を作り出す。

白瀬さんはそれが鬱陶しくて、先生の宿舎へは通用門から花屋のルートを使っていた。

先生には、いつまで経っても道を覚えられないんだねと、よくイヤミを言われたと言っていたけど。





水島に付き添って先生の宿舎に向かう。

謹慎を言い渡された生徒は、一旦通用門から学校の外へ出て再び花屋の方から入る。

学校横、通用門から少し離れたところにある小さな花屋。

狭い間口には、いくつかのバケツに無造作に入れられた花束が置かれていた。

無造作といっても、それぞれにちゃんと季節毎の花々があしらわれている。

バラ、ヒマワリ、ヤマユリ、ラベンダー、ルピナス・・・

いまは夏の花が主役を彩る花束を前に、それまでずっと黙っていた水島がはじめて口を開いた。


「・・・ここが謹慎の入り口だなんて、誰も思わないですね」



花に囲まれた静かな世界

しかしけして穏やかな時ばかりではなく

時に激しく時に辛く

人生の縮図がそこにある


―あの小さな花屋の入り口はそんなところだよ、聡―


そう言いつつ白瀬さんは、でも・・・と続けた。


―でもここに来た生徒はみんな立ち直って学校へ戻って行くと、先生は言う。少年のような笑顔で―



「そうだね・・・出口だってことも思わないらしいよ。待ってるから、水島君」


水島は戸口に立ったまま、少し困った顔で眼鏡のブリッジに手を当てた。

「村上さん、僕に出口はありません」

「水島君・・・」

白瀬さんや渡瀬たちもそうであったように、この学校の厳しさにおいて謹慎は退学を連鎖させるものであるのは否めなかった。

「無責任なことは言えないけど、本条先生なら大丈夫だよ。僕はそう信じてる」


「それが恐喝でも・・・ですか」


水島の背中から夕陽が差し込んで、眼鏡の縁がキラリと光り一瞬その表情を掻き消した。






授業が終って10分間の待機中に謹慎を言い渡された水島は、クラス中の視線を浴びながら教室を出て行った。

途中で和泉が「水島!」と叫んだが、水島は立ち止まることさえしなかった。

「あいつ・・・!」

追い駆けようと席から立ち上がった和泉を、慌て制した。

「和泉!いまは駄目だ」

「じゃあ、いつならいいんだよ!聡はどれだけあいつのことを知ってるんだ!
おれたちはずっと一緒に過ごして来た仲間だ!」

友達を信じて疑わない和泉に、周囲も同調した。

「本条!お前から先生に言ってくれよ!」

「俺も!あのガチで真面目な水島が謹慎なんて、絶対何かの間違いだよ」

それまで水を打ったように静かだった教室内が、一気に騒がしくなった。


「みんな!僕も仲間だよ!」


「聡・・・」

「村上さん・・・」

クラス中のみんなの一様に驚いた顔が、僕の方に向けられた。

「・・・みんなが水島君を信じるのはわかる。僕も間違いであって欲しいと思うよ。
だからこそ、僕は先生を信じる」

和泉も他のみんなも、黙ったままだった。

「こうなってしまった以上、騒いでどうにかなるものでもないだろ。
ここは和泉、みんなも・・・先生を信じて水島君を待つべきだと、僕は思うけど」

沈黙の中、互いの思いを確認するようにそれぞれが顔を見合わせて行く。


「聡はやっぱりこのクラスの委員長だな。・・・ごめん、言い過ぎた」

「僕はこのクラスになれて良かった。和泉、また後でね・・・水島君の用意を手伝ってくる」

やるせない顔の和泉とクラスメイトを残して、教室を出た。







花屋の戸口から差し込む陽の光の中、水島は動こうとしなかった。

「・・・どうしたの、水島君。行くよ」

「答えて下さい、村上さん。どうなんです・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

恐喝の二文字はあまりにも予想外すぎて、咄嗟に答えることは出来なかった。

水島は荷物の入ったボストンバッグを肩に掛けなおして、陽の光の方向に顔を向けた。

「このまま駅に行こうかな・・・。今さら謹慎してもね・・・」

「水島君!駅って・・・家に帰るつもり?そんなことをしたら、よけい・・・」

引き止めようにも、その後の言葉が続かなかった。

振り向いた水島の顔は口の端が歪んで、何ともいえず切ない表情だった。




「・・・こんにちは。久し振りに生徒さんにお会いしたわ」

水島の後ろで女性の声がした。

狭い間口なので、大柄な水島が立っていると戸口を塞ぐかっこうになっている。

水島は気付いて戸口から体をずらした。

「邪魔ですね、すみません。どうぞ」

「ありがとう。お花をいただきに来たのよ。・・・今日は何にしようかしら?」

その女性は屈んだ拍子にサラサラと落ちてくるストレートヘアの片側を耳に掛け、傍にいる水島に語りかけながらバケツの中の花束を選び始めた。


「・・・ねぇ、あなたはどれが好み?どうしても自分の好みで選ぶと、同じ感じばかりになってしまうの」

「僕ですか・・・そうですね・・・僕はこのヤマユリの花束が好きです」

「ああ、これね。橙色の柔らかな色合いがその場を癒してくれそうね、素敵だわ。
では、これをいただきます」

女性は水島に笑顔を向けながら、ヤマユリの花束を腕に抱えた。

そして「ごめんなさい、もうひとつお願いしていいかしら」と、手提げバッグから包みを取り出した。

「・・・これを、奥の部屋のテーブルに置いといてただけないかしら。
お花をいただくお礼に、お夜食なの。連絡はしてありますから」

「いいですよ・・・本条先生ですか」

「ええ」

「・・・・・・ちょうど先生のところに行きますので。僕が届けます」

やや間があったものの、水島は眼鏡の奥の瞳を細めながら片手を差し出した。

「まあ、ありがとう!そうしていただくと助かります。
先生はメールで連絡をしておいても返信がないから、おわかりになっているのかいないのか・・・」


「あはは、先生は誰にでもそうなんですね」

あまりにも先生らしくて、横から思わず笑いが零れてしまった。

「あなたもそう思う?・・・オレンジ色の名札紐、渡瀬君と同級の方ね!」

「渡瀬とは友達です。渡瀬を知っているんですか」

「ええ。よくここでお花の世話をしていらして、彼のようにお花を選んでくれたり届け物を渡してくれたりとてもよくしてもらったの。
最近はあまりお会いしていないけれど、元気にされているのかしら?」

それは渡瀬が謹慎中の間のことだとは思ったが、そんなことは言えない。

「元気ですよ、三年生は受験で忙しいですから。渡瀬に会ったら伝えておきます。
あなたが気に掛けていたことを・・・えっと・・・僕は村上、彼が水島です」

「斉藤です」

ああ、やはりこの人が先生の・・・


―肩にかかるくらいのストレートヘアでね、白ユリの似合う清楚な雰囲気な人だよ―


「斉藤・・・和花さん。和む花と書いて和花さんですよね」

「ええ、そうよ。でも名前をどうして・・・渡瀬君から聞いたの?」

「いいえ、白瀬さんです」

「白瀬君!まあっ、懐かしいわ!」

和花さんはとても嬉しそうな笑顔で、白瀬さんを懐かしんだ。

「先生と張り合って負けたって言っていました。
白ユリの似合う人と聞いていましたが、そのヤマユリもとても似合います」

「それは僕が選んだんですよ」

「あなたたち、あまり年上をからかうものじゃないわよ」

和やかな談笑に、水島も笑顔を見せた。

いつの間にか和花さんの存在が、それまでの重たい空気を穏やかなものに変えていた。


「いけない、もうこんな時間。村上君も水島君も駅前に出ることがあったら、ギャラリー樹に寄ってね。
喫茶も兼ねているのよ。今日のお礼に、お茶くらいご馳走させていただくわ」

ではまたね、と手を振る和花さんを見送って再び水島と二人になった。

戸口の外に立つ水島を、数歩内に入って待つ。


「これを・・・先生に届けなくちゃいけませんから」


水島は静かにそう言うと、戸口の敷居を跨(また)いだ。





心は

ガラスのように透明で

ガラスのように脆(もろ)い

水島の

割れてしまったガラスの心が 悲鳴を上げている

鋭利な欠片(かけら)は身の皮を突き破り 肉に食い込み

きっとその心は血だらけだ


散らばった欠片は

痛みと涙と

拾い上げてくれるのは誰

再びその身に帰す為に


気が付けば

先生の笑顔が語りかける

人懐こい 少年のような笑顔で

―大丈夫さ、君は僕の生徒だ―





奥の部屋に入って裏庭に通じる扉の鍵を開ける。

鍵は暗証番号かもしくはカードキーで、中からも外からも掛けられるようになっていた。

もっともカードキーは先生だけで、僕や渡瀬たちは暗証番号だった。

扉を開けると、弧を描いたような裏庭から道が行く筋も方向を変えて延びている。

そのうちの、宿舎に通じる道を水島に指し示した。

「あの道を真直ぐだよ」

「真直ぐですね、わかりました。・・・村上さん、後はひとりで行きます」

「・・・水島君」

「逃げませんよ・・・どっちに行っても破滅に変わりはないんだし。ありがとうございました」

水島は軽く頭を下げると、宿舎に続く道に向かった。

いいと言うものを無理について行くわけにもいかず、今度は僕が戸口に立ち尽くす番だった。

生い茂った葉陰に水島の背中が隠れそうになったところで、思わず叫んだ。

「待ってるから!和泉も、クラスのみんなも!」

直後、遠目からでも水島の右肩が動いたのがわかった。


―・・・クイッと眼鏡のブリッジを上げながら・・・―


それが返事のように。







水島を見送った後、暫くテーブルの椅子に座ってガラスケースの中の花々を眺めていた。

和泉のことを思うと、すぐ寮に帰る気にはなれなかった。

どう考えても恐喝の二文字は、水島とは結びつかない言葉だった。

しかし水島自身が言ったことと、先生がみんなの前でとった厳しい措置を思えばそうなのかと思わざるを得なかった。


ガチャッ・・・

不意に、扉の開く音がした。


「鍵が開いていると思ったら、聡か」

「渡瀬!どうしたの?こんな時間に」

裏庭の方から渡瀬は入って来た。

「聡こそ、何してるんだ。・・・先生に何か頼まれたのか」

一瞬ギクリとした。まさか渡瀬でも、今日のそれもついさっきの水島のことを知っているはずがない。


「別に・・何も・・試験が終ったんで、ちょっと花が見たくなったんだよ」

「・・・やっぱりな。先生は、聡君には用事は頼まないからな」

先生絡みで、またしても渡瀬の機嫌が悪い。それも時々渡瀬は子供のように拗ねる。

「渡瀬・・・?」

「急に忙しくなったとかで、当分代わりに花屋を閉めるのを頼まれたんだ」

水島の件だ・・・。

「あっ・・・そんなことぐらいだったら、僕がするよ。渡瀬は受験で忙しいだろ」

「・・・冗談だ。聡はいいよ。三浦と谷口と三人で、交代でするから。
あいつら今日は携帯切ってやがって、後で部屋へ怒鳴り込んでやる」

子供のように拗ねてもすぐそんな自分に気恥ずかしくなるのか、渡瀬はわざと大きく椅子を引いて勢い良く座った。


「そうだ、渡瀬。さっき・・・少し前だけど、斉藤和花さんに会ったよ。
渡瀬のこと元気にしてる?って、気に掛けていたよ」

「ああ・・・あの人が先生の彼女だなんて、信じられないけどな。俺からすれば世界の七不思議のひとつだ」

「あははっ、酷いな。でも渡瀬は先生なら腹は立つけど、和花さんになら腹は立たないみたいだね。
とてもよくしてもらったって言っていたよ」

「当たり前だろ。俺はきちんとしていて、人の話を聞く人が好きなんだ」


花屋の狭い間口から、夕暮れが長い陽の影を落とす。

渡瀬はそれからテキパキと店仕舞いを済ませた。

渡瀬にとってそれが不満やるかたない頼まれごとであっても、手を抜くようなことはなかった。

僕は渡瀬が終るのを待って、一緒に寮へ帰った。





寮に帰ると、やはり和泉がすぐ部屋に来た。僕の帰りを待っていたようだった。

「聡!水島の様子はどうだった?何か言ってた?」

「大丈夫、心配ないよ。だいぶ落ち着いていたし・・・」

「落ち着いていたし?」

和泉は矢継ぎ早に聞いて来た。

「・・・途中から一人で行くって言って、花屋のところで別れたんだ。
だから僕は先生の宿舎までは行っていないんだよ、和泉」

「何だ・・・それにしちゃ遅かったじゃないか」

ほとんど水島の詳細がわからず、和泉はあからさまにガッカリした様子を見せた。

和泉の気性を考えると、水島の言葉はどうしても言えなかった。


―それが恐喝でも・・・ですか―


今の時点では、返って混乱を招くだけのような気がした。


「ちょうど花屋にいたからね、花を見ていたんだよ。僕だって気にしていないわけじゃないよ。
・・・少し考える時間が欲しかったんだ」

「・・・おれ、聡にはつい言い過ぎちゃうみたいだ」

和泉はため息をついて、ベッドに腰を落とした。

「イヤだな、そんなに気にしないでよ。僕は和泉が真正直に言ってくれるのがとても嬉しいんだ。
・・・僕のほうこそ、ごめんね」

水島と和花さんのこと、そして渡瀬、僕は和泉ほど正直じゃないと思うと、自然と申し訳なさが口を付いて出た。

それでも和泉には、僕のごめんね≠フ意味は分からないだろう。

へへっと照れくさそうに笑う和泉に、もう一度心の中でごめんねと呟いた。







水島が謹慎生活に入って一週間近くが経った。

クラス内も落ち着きを取り戻し、暗黙の了解のように水島のことは表立って口に出すものはいなかった。

また実力考査が終ってもすぐ期末が始まるので、それなりに次の試験の準備で忙しかった。


「和泉、スタディルームに行く?」

「ん・・・いや、部屋でするよ。聡は?」

「僕も部屋でするよ。気分転換にレストルームには行くつもりだけど」

授業終了後10分間の待機が終って和泉とそんなやり取りをしていたら、いきなり教室のドアが開いた。

クラス中が、また先生かと思ったようだった。

着席も間に合わず、固まったままドアの方に視線が集まった。


「水島!いるかぁ!出て来い!!」

「三浦・・・」

大声の主は三浦だった。

「おう、聡。水島ってどいつだ!?」

「どうしたの?・・・水島君は今いないけど・・・」

二年の教室に三年が来ることは稀だった。

しかも強面の三浦がケンカ腰で乗り込んで来て、クラスのほとんどのみんなは先生とはまた違った緊張で押し黙った。

一番危惧したのは和泉だったが、振り向いた時にはもう遅かった。

「何の用だ!三年だからって偉そうな口利くな!いないってんだろ!帰れ!!」

「うるせぇ!お前は引っ込んでろ!!聡、お前のクラスにはろくな奴がいねぇな」

「何だと・・・この野郎・・・!!」

三浦の徹底的に罵倒した言葉に、和泉の怒りが爆発した。

「やめっ・・!!和泉!三浦!」

何が何だかわからなかった。そもそも三浦と水島の接点が考えつかなかった。

どこで何があったのか、それも水島は謹慎中なのに。


冷静に話を聞く前に、派手な取っ組み合いが始まってしまった。

教室の廊下で、和泉が三浦に突っ掛かっていく格好で二人の体が壁や床に乱暴にぶち当たる音がした。

二人の間に入って引き離そうとしたが、他のクラスメイトに止められてしまった。


「危ないですよ!村上さん!!」

「おいっ!誰か、先生呼んでこいよ!」


普段なら喧嘩のひとつやふたつくらい周囲も面白がって煽るのだが、水島の名前に誰も和泉と三浦の喧嘩を煽るものはいなかった。







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